戦跡を訪ねる、その1

今月末に、安倍首相がハワイの真珠湾を訪問するというニュースを聞いた。

真珠湾といえば、日本軍が奇襲攻撃をかけ、日米開戦の火蓋が切られた場所として知られる。また、太平洋戦争のはじまりとして認識している人も多いと思う。

だがその1時間20分ほど前の1941年12月8日午前0時30分頃(現地時間)、75年前の今日、真珠湾攻撃に先駆けて、日本軍は「ヒノデハヤマガタ」の暗号の元、マレー半島東海岸北部に位置するコタバルへの上陸を開始した。いわゆるコタバル上陸作戦、マレー侵攻の始まりだ。真珠湾への攻撃よりも早かったことから、こちらが太平洋戦争の開始を意味すると言えるだろう。

なぜ真珠湾攻撃を太平洋戦争の開始と認識しているのだろうか。それは日本の歴史教育の不十分さや捻じ曲げられた事実、何かとアメリカ偏重の考えが積み重なって生んだものと私は思っている。かくいう私もそういう世の中で育った1人とあって、真珠湾攻撃が太平洋戦争の始まりだと思っていたし、初めてコタバルに行くときまでは、日本軍が上陸した場所であるとも全く知らず、何ならマレー侵攻という言葉は遠い記憶の片隅にあるようなないような状態だった。

無知で恥ずかしいかぎりだ。

 

 

今年秋のある日、私はコタバルにいた。

このときの目標のひとつに、戦跡を訪ねるというものがあった。

世の中には変わったものが好きな人がいるもので(人のこと言えない)、私は諸先輩方のHPやブログでその場所を知り、いくつか足を運ぶことができた。

 

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クランタン北部の空の玄関口Sultan Ismail Petra空港の近くにあるこの塔。

一見するとただの時計塔なのだが、四方にあるパネルを見ると、どういうものなのかが分かる。

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平和を祈念する塔なのだ。

日本語、マレー語とジャーウィ語のパネルもある。

※残りの一辺は英語

尚、その変わったもの好きの先輩のブログの写真を拝見すると、時計はないし、クランタンのマークもない。また、塔の塗装もはげている。

私が訪ねたときは上記のような様子だったので、どなたの手によるものなのかはわからないけれど、それなりに保存してくれているようだった。作ったら作りっぱなしで朽ち果て放題が多いマレーシアで、このように手を入れているのには少し驚いた。

 

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先ほどの祈念塔から約15分ほど南へ進んだところにこのトーチカはある。

1939~40年ころにイギリス軍によって作られたもので、北はトゥンパッ、南はトレンガヌあたりまで構築されていたようだ。今はわずかな数が現存している

きっとこの近くでも闘いが繰り広げられ、たくさんの人たちが亡くなったのだろう…。

 

実はこのトーチカに来るのは2度目だ。

初めて来たのは現地在住の友人に連れて来てもらったときだった。

そのときの説明で、戦争のときの何かだということはなんとなくわかったけど、夜に車道から、車の中から見たもんだから、暗くて何なのかよく分からなかったのだ・・・。

後から先輩方のブログで見て、あれ?ここ行ったことあるじゃん!!と思って再訪した次第である…。

 

つづく。