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戦跡を訪ねる、その2

この日はコタバルから車で約1時間ほど南に位置するMachangへ向かった。

コタバルにあるBank Kerapuに展示されている戦跡記念碑のオリジナルを見に行くためだ。

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Bank Kerapuは、コタバルにおける太平洋戦争に関する博物館。

1912年に建てられ市中銀行として利用されていたと言われている。1942年から1945年までは、日本の憲兵の本部として使われ、戦後は再び銀行となり、1992年に現在の博物館となった。

中は、日本軍が現地で利用していた自転車や旭日旗、身に付けていたものや、進軍の様子が記されたパネルなどが展示されている。その中のひとつが、日本語が掘られた戦跡記念碑だ。Bank Kerapuにあるものはレプリカで、オリジナルはマチャンにあるということで、実際に見に行ってみたのだった。

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その記念碑は、かわいらしい学校の中にあった。

入り口にいる守衛さんに断りを入れ、敷地内に入る。

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上:「戦跡記念碑」

下:「那須部隊 激戦地 昭和十六年十二月十二日 十一時占領」

 

きれいな石碑だった。

これもきっと、現地の人によって手入れされているに違いなかった。

この石碑がオリジナルらしいけれど、那須部隊が当時まさにこの場所にこの石碑を設置したのだろうか・・・。残念ながら私にはそれを尋ねるほどの語学力がない。もっとも、学校の守衛さんも知らないだろう。

コタバル近辺には3つの飛行場があり、そのひとつがマチャンにあった。通常なら制空権を最初に握るというのが正攻法だが、シンガポール方面へ進むにあたりあまり時間がなく、それを後回しにして攻撃をスタートしたらしい。少しずつ進軍しマチャンの飛行場を奪取、12月12日に占領した、ということだと思われる

 

いろいろな思いをめぐらせながら学校を出ようとしたら、守衛さんにノートに記名するように言われた。大きな観光地ではよくあることだけど、こんな小さな場所でもそれがあることに驚いた。この石碑はそこそこ有名なものなのだろうか…。

私の前の訪問者を見てみると、マレー人がほとんどだった。とはいえ少なくとも例のブログの先輩や私のようにはるばるやってくる物好き日本人もいるわけで。守衛さんに「日本人来る?」と尋ねてみた。

 

「ハッハッハ、NO!

 

・・・そうですか・・・。

 

マチャンには、この戦跡記念碑のほかにトーチカや日本軍が建設した橋なども存在するそうなのだが、個人の足で向かうには難しそうだったのと、戦跡以外のものも見たかったので行かなかった。

 

私がBank Kerapuを訪れたのはコタバルに初めて来たときで、その歴史や文化について知識ほぼ皆無のときだった。そのときに比べて多少は理解していると思われる今、もう一度訪れればさらに理解度が深まるに違いない。次に行ったときはもう一度訪ねたいと思っている。

が、訪れる人が少なく室内は薄暗く、さらに展示しているものは戦時中のものということでなんとなく一人だと不安な気持ちになるのだ・・・。誰かに一緒に行ってもらうにしても、友人のケランタン人は興味ないだろうなー。

 

  

つづく。